ふと思ったこと。
GTDってヨガと通じる部分が大いにあるなぁと。ヨガは曲芸ではないし、GTDもドMな自己管理ではないのだと。決して自分に無理をさせるのではなく、自分自身との対話の中で、自分の能力を少しずつ伸展させていく感覚。どちらにも共通する感覚じゃないかな。
ヨガに学ぶ
一時期スポーツジムに通ってスタジオでヨガをやっている時期があった。転職を機に足が遠のいたが、毎週通う中でひとつ大事なことを学んだ。ヨガの目的は自分と対話することである、ということ。すなわち、必死にトレーニングをしてすごいポーズを決めるのが目的ではないということ。ヨガでは常に自分の内側から聞こえる「声」に耳を傾ける。
「今日は疲れがあるな」
「肩が柔らかくなったな」
「身体が温まってきたぞ」
といった「声」に反応して、
- 自分の心地のいいポイントまで身体を伸ばしたり、
- バランスを追求して自重を小さな力で持ち上げたり
- いろんな筋肉を意識して一枚の板のような姿勢を維持したり
・・・と、身体を通して自分と対話することで心身を健やかにしていく。これがヨガである。
GTD
ひるがえって、GTDはどうか。
GTDの中で最も大事なプロセスのひとつが、自分の内面にある「気がかり」を一端全て外に吐き出すことだ。
この「気がかり」という「声」に従って、
「このタスクなら今日できるんじゃないかな。」
「これは来週にまわしても大丈夫。」
「こういうふうになりたいけど、今は無理だからとりあえず置いておこう。」
と自らに負担を強いるのではなく、自らのキャパシティと対話しながら日々を過ごしつつも、少しずつ「ありたい自分」に近づいていく。
まさに関節や筋肉の「可動範囲」を意識しながら、自分を高めていくヨガの精神にそっくりだ。繰り返しになるが、ヨガは曲芸ではないし、GTDもドMな自己管理ではないのだ。
ヨガ的GTDはいかが
少し論点がずれるが、実際のところ、僕はGTDそのものもかなりいい加減にやっている。猿真似GTDである。完璧にしないのは自分の内面と対話して、このレベルのタスク管理が一番心地いいと思っているから。ヨガ的なGTDとでも言おうか。
GTDの方法論は別としても、自分との対話の中で、昨日より今日、自分を相対的に成長させていく行為は、小さな成功体験の積み重ねとなり、幸福感を高めてくれると思う。
心身ともに健やかに、そしてゆるやかに成長していく。ヨガ的マインドで能力もゆったりとストレッチ(伸展)するのはどうだろう。